呪いをかけた日の記憶

小さい頃は虫が好きだった。同じマンションに住んでいて同い年のYちゃんが生き物好きの女の子だったこともあって、2人でよくダンゴムシを縄跳びのプラスチックの柄の中に入れて遊んだし、校庭でモンシロチョウの幼虫を見つけたときは、代わる代わる指の上に載せてその透明な黄緑色を堪能した。男子に揶揄されたけど気にすることもなかった。

かたつむりやアリを捕まえてきて虫かごで飼ってみたり、山椒の枝にくっついていた蝶の卵を枝ごと持って帰って羽化させたりもした。黄色がかった半透明の米粒のような卵からは黒っぽい幼虫が生まれ、いつしか蛹になり、夏休み、私が登校日で家を空けている間に羽化するところを母が見た。家に帰ると彩度の高い水色の縞を身につけた、黒く艶のある立派な蝶がいた。アゲハチョウだと思っていたそれはアオスジアゲハだった。
きっと野良猫にでも弄ばれたのだろう、翅がぼろぼろになったアゲハチョウを庭で見つけて一晩介抱したこともある。お菓子の空き箱にティッシュペーパーをふんわりと詰めたベッドを作ってそこに載せた。砂糖水を浸したティッシュペーパーを枕元に置いて、図鑑で見たままの、くるくると巻いた口の管の中心に爪楊枝を入れて引き伸ばし、濡れたティッシュまで届かせると、ちゃんと水を飲んでいるのがわかった。その蝶は翌朝には死んでしまった。

マンションには同じ名前で同い年のYちゃんが2人いた。小学校中学年になると、もう1人のYちゃん、以下Zちゃんとも仲良くなった。運動神経が良く生き物好きのYちゃんと比べて、Zちゃんはインドア派でませた子だった。

Zちゃんは虫が出ると毎回キャアキャアと甲高い声を上げて慌てふためいた。最初はいちいち面倒臭かったそのリアクションを、何度も見ているうちにあるメッセージを諒解した。「女の子は虫を怖がったほうがかわいい。」それはZちゃんを通して、世の中に流れる暗黙のルールに初めて触れた瞬間だった。
当時明文化してこのことに気づいていたのかはわからない。けど、「私もそのルールに則ろう」と決めたことははっきりと覚えている。女の子らしくしよう。かわいくなろう。好きな男の子に振り向いてもらえるように。自分たちはセミやカブトムシやクワガタを素手で触るくせに、「女子」が同じことをすると引いてしまうあの「男子」たちに。純粋性を犠牲にしてでも、女性性を勝ち取ろう。

それが何年生の時だったのかは覚えていないけど、見えないスイッチをONにしたかのように、それから突然私は虫が怖くなった。Zちゃんのように甲高い声を上げ、我を忘れて慌てふためくようになった。最初はその行動だけを真似ていたのかもしれない。でもその行動はすぐに私の脳みそを支配して、心から虫が怖いと思うようになり、本心から悲鳴をあげるようになった。
あのグリグリした目。ウヨウヨ動く脚。純粋な興味の対象であったはずの虫は、虫であればどんなものでも怖くなった。蚊や小さな家蜘蛛でさえも。

その呪いは今も続いている。自分でかけた呪いのはずなのに、解き方がわからないのだ。